旅行者視点から見る「ロヒンギャ問題」旅行に影響は?治安は?ヤンゴン現地から実情をお伝えします。

「ロヒンギャ問題」旅行に影響は?治安は?ヤンゴン現地から実情
参照 wikipedia

ミンガラーバ!ミャンマー星人の林ツイタチです。ミャンマーの魅力を文章や写真で発信しながら生きています。この記事では【ロヒンギャ問題】について解説します。『ロヒンギャ』という言葉を初めて聞く人のために、できるだけわかりやすくまとめました。ミャンマー旅行の前にぜひお読みください。

【キーワード】
土着民族・・・その地域で生まれた個人を指す言葉
ビルマ・・・ミャンマーの旧称
ムスリム・・・イスラム教を信仰する教徒

旅行に影響はある?

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ラカイン州への交通は厳しく取り締まられており、撮影やインタビューは警察の許可が必要です。旅行者は近づくことができません。

『ロヒンギャ』とはどういう意味の言葉?

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『ロヒンギャ』とは『ロヒンギャ』を名乗る部族の名称です。”『ロヒンギャ』を名乗る”と称した理由は明確にあります。ミャンマー国家が正式にミャンマーの部族として認めていないためです。

在外のロヒンギャの有識者によると自分たちはミャンマーのラカイン地方に8世紀から住む『由緒ある民族』だと主張しています。さらにロヒンギャの人々は『独立国家』を求めているわけではない。自分たちの民族名称を認めてもらったうえで、ミャンマーの国籍が与えられるよう求めている。とのことです。

ではなぜミャンマーは、政府も国民も彼らを「民族」として全く認めていないのでしょうか。

ミャンマーにとっての『ロヒンギャ』とは

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ミャンマーは『ロヒンギャ』を外国からの不法移民集団だと決めつけているのが現状です。なぜなら、これまでの歴史や人類学、などのあらゆる観点からの史料が十分ではなく、ミャンマー古来の民族であることが立証できないためです。そのため、ミャンマー政府および国民は『ロヒンギャ』を異物扱いしており、差別する風潮は今でも根強く残っています。

『ロヒンギャ』はどのように差別している?

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ミャンマー政府や国民が『ロヒンギャ』を差別する理由は3つあるとされています。

  • イスラムを信仰する保守的な集団であるため
  • 外見の特徴がミャンマー人と異なるため
  • ベンガル地方からの「不法移民」である疑いがあるため

国民の9割が仏教徒(上座仏教徒)であるミャンマー人にとって、イスラム教の信者であるムスリムに対し強い嫌悪感があります。ムスリムの人口を増やしミャンマーという国を占領するのではないかと疑問感が嫌悪につながり、差別を加速させています。

宗派に加え、外見の特徴もミャンマー国民にとって異物に写るのでしょう。一般的なミャンマー国民と比較して『ロヒンギャ』は顔の彫りが深いという特徴があります。さらに母国語であるビルマ語を使えず『ロヒンギャ語』を母語にしていることが、彼らに対する嫌悪感を助長させています。ではここで新たに出てきたキーワード『ベンガル地方』とは一体どのような場所なのでしょう。

『ベンガル地方』と『ロヒンギャ』

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『ロヒンギャ』はインドのベンガル地方(現在のバングラデシュ)に起源を有すると主張しており、彼らは8世紀からラカインの地に住み続けているとも述べています。しかし、現存する史料では『ロヒンギャ』という民族の存在は第二次世界大戦後の1950年までしか遡ることができません。

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一方で、ラカイン地方に存在した『アラカン王国(1430-1784)』の中にベンガル出身のムスリムが一定数居住していたことがわかっています。

その後、19世紀の戦争で『ラカイン地方』がイギリスの植民地になります。インドのベンガル地方から連続的に移民が流入し、数世代にわたってラカイン西北部に住み着くことになります。ラカインにはミャンマー本土の土着民族、つまり仏教徒が定住しており、ムスリムである移民との軋轢が本格化し始めます。

20世紀になると、第二次世界大戦中が始まります。旧ミャンマー(ビルマ)は日本とイギリスの戦場になりました。日本側は仏教徒であるラカイン人を武装、イギリス側はムスリムを武装しました。双方は代理戦争となり対立は頂点に達しました。

戦争と『ロヒンギャ』

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第二次世界大戦後は、東パキスタン(現バングラデシュ)からの移民が食料を求めてラカイン西北部に流入します。戦争が終わり独立したばかりのビルマ政府の統治が及ばないなか、その一部の勢力は『ムジャヒディン』を名乗り武装闘争を展開します。その後も1971年の『バングラデシュ独立戦争』の混乱期に大勢の移民がラカインへ流入しました。

独立したビルマ政府は『ロヒンギャ』を差別的には扱わなかったとされています。しかし、1962年に軍事クーデターが起きると一変。政府軍が主導するビルマ民族中心主義が成立すると『ロヒンギャ』に対する扱いが急速に差別的なります。

この間、1982年に改正国籍法 (現行の国籍法)が施行されるとその法に基づき『ロヒンギャ』はミャンマー土着の民族ではないことが合法化されます。つまり『ロヒンギャ』を主張する者は法律的に『外国人』とみなされるようになったことを意味します。

終わりに〜現在の『ロヒンギャ』

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2020年、現在でも50万人を超える『ロヒンギャ』の人々が、ミャンマーから隣国バングラデシュへ難民となってあふれ出ています。毎日土砂降りの雨が降る雨季では激しい雨に打たれながら。故郷のラカイン州西北部から国境のナフ河を越え、着の身着のままで脱出し、受け入れ態勢不十分なバングラディシュの土地で命を繋いで生きています。

ミャンマーは依然として『ロヒンギャ』を国民として認めておらず、2014年に施行された国勢調査では『ロヒンギャはベンガル人だと認めない限りカウント対象からはずされる』扱いを受け、さらに臨時国籍証をはく奪して「審査対象中」というカードをかわりに与え、事実上の無国籍者としているのが現状です。

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