セブ島の歴史をご紹介します。<前編:古代から近代編>

セブ島の歴史をご紹介します。<前編:古代から近代編>

皆さんこんにちは、セブ島ライターの林ツイタチです。皆さんは歴史に興味がありますか?ありますよね。せっかくだからセブ島の歴史を知識として持っておきましょう。セブ島観光が100倍面白くなるはずです。

セブ島の歴史を辿る際に外せない人物が3人!

セブ島の歴史をご紹介します。<前編:古代から近代編>
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/フェルディナンド・マゼラン

この記事ではその”人物”を中心に解説します。

・マゼラン
・ラプ・ラプ王
・ミゲル・ロペス・デ・レガスピ

の3人です。その3人の名前は覚えなくても、どのような功績を残したかということだけでも覚えておくと観光がより一層楽しくなります。

まずはプロローグ!『SUGBO』の由来とフィリピンのはじまり!

セブ島の歴史をご紹介します。<前編:古代から近代編>

フィリピンに人類が現れたのは2万5000年以上前の旧石器時代。陸続きだった東南アジアから移り住んできた、という説が濃厚とのこと。

15世紀スペイン統治時代前のセブの名称は「スグブ(Sugbu)」または「スブ(Zubu)」と呼ばれていました。その名残は今でも強く残っています。例えば『SUGBO MERCADO』はその中心核。

なぜフィリピンの国民の8割がキリスト教なのか!答えはマゼランに!

セブ島の歴史をご紹介します。<前編:古代から近代編>

国民の8割はクリスチャンであるフィリピン。ですが最初からキリスト宗派が浸透している訳ではありませんでした。

14世紀頃にはイスラム教が入り仏教やヒンドゥー教の抵抗があった島を除いて、イスラム教が強く浸透しました。

15世紀頃には中国やタイ、東インド諸島などの東南アジアとと交易が始まり、各国からさまざまな文化が入ってきました。フィリピンfeat.東南アジアというわけです。

そしてここからフィリピン独自の歴史が幕を開けます。1521年を機に宗教事情は一転。その背景にはマゼランという探検家が重要なキーパーソンになってきます。

マゼランは
・「貿易ルートの開拓」
・「スペインの領土の開拓」
という目的で世界中を渡航していました。

その渡航中に “艦隊の補給のために上陸した”のがセブ島です。そしてマゼランは約3週間にわたりセブ島に滞在。その期間中は、

・王宮に招かれ食料を補給
・セブ島民にキリスト教を布教
・ちらちら武力をのぞかせ服従を強要

などの3本立てでセブ島ライフを送ります。正確にはキリスト教を布教していたのは同じ船に同行していた修道士とのこと。

セブ島周辺の王様のほとんどは圧倒的なマゼランの支配力の前に服従。キリスト教が布教に関してはこの時が発端であると言われています。

マクタン島のシンボル『ラプ・ラプ王』の由来とは!?大戦士だったって知ってる?

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マクタンの王は”ズラ”、そして”ラプ・ラプ”の2人。聞き覚えがある名前だと思います。その2人がマゼランの人生を変えてしまいました。その一端をご紹介。

マゼラン(マクタン島も支配下に入れたい)
ズラ王「マゼラン様に従う気は無きにしもあらず」
ラプ・ラプ王「従う気はない」
マゼラン「マクタン島の街を燃やす」
ズラ王「実際にマクタン島に来てラプ・ラプ王をどうにかしてくれ」

という流れでマゼランはマクタン島へ。マゼランはラプラプ王を支配するために49人を小艇に乗せてマクタン島へ。そこで待ち受けていたのは1,500人のラプラプ軍。

ラプラプ王はマゼランが占領しに来ることを予測しておりWELCOME and DIE状態でマゼランを待ち受けていたとのこと。圧倒的大差によりマゼランは敗北覚悟で戦いに挑みます。その時にマゼランは自信と自軍をこの言葉で鼓舞します。

『諸君、われらの敵であるこれらの住民たちの数に恐れをなしてはならない。神が我らを助け給うであろうから。諸君、思い出すがよい、あのエルナン・コルテス隊長がユカタン地方で、200人のエスパニャ人でもって、しばしば20万、30万の住民たちを打ち破ったということを我々が耳にしたのはつい最近のことではないか』

言ってる最中に弓矢で貫かれそうなほど長くて覚えにくいですがステキな文章です。その後マゼランは戦死。

そしてラプ・ラプ王は、多くの部族長がマゼランの要求に応じた状況の中で、マゼランの要求を始めて拒否した人物になりました。今ではラプ・ラプ王は、マゼランなどのヨーロッパ人の侵略に対して戦った人物としてフィリピンの英雄と称えられています。

ミゲル・ロペス・デ・レガスピ編

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(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ミゲル・ロペス・デ・レガスピ

しかしその後スペインは軍隊をフィリピン全土に送りこむようになります。マゼラン上陸から44年後の1571年に今の首都マニラがついに陥落。

“ミゲル・ロペス・デ・レガスピ” や”アンドレス・デ・ウルダネータ“ というコンキスタドール(征略家)により長いスペインの植民地時代が続きます。マゼラン上陸から44年後の出来事でした。

ミゲル・ロペス・デ・レガスピをはじめとしたスペインによる統治は約300年もの間続いたことになります。ミゲル・ロペス・デ・レガスピは行ったことは具体的には2つ。

・フィリピン諸島に政府を樹立
・現地人をローマ・カトリックへ改宗

修道会およびフランシスコ会の宣教師の助力により、フィリピン各国に政府を樹立していきました。彼はフィリピン初の総督になり、現地人をローマ・カトリックに改宗しました。

1565年にはフィリピン初の教会『バシリカ・ミレノ・デル・サント・ニーニョ』が造られました。今でこそセブ島キリシタンの聖地であるサントニーニョ教会ですが、この背景を知ると少々複雑な心境になります。

ここまでのまとめ

セブ島の歴史をご紹介します。<前編:古代から近代編>

・フィリピン初の侵略者はマゼラン!?
・その侵略者を討伐したのがラプ・ラプ王
・しかしスペインの侵略に白旗→その後は300年スペインの支配下に

となります。スペインからの独立はアメリカと日本が鍵を握ります。果たしてフィリピンは独立することができるのか。そしてフィリピン全土とセブの歴史とは…。

こちらの記事に続きます。
セブ島の歴史をご紹介します。<後編:近代から現代編>