【5分でわかるアユタヤの歴史】バンコク旅行前に絶対に読みたいアユタヤ遺跡の歴史と変遷をご紹介します。

アユタヤ遺跡の歴史と変遷
タイ王国中部、首都バンコクから北に60kmのところに位置する古都アユタヤ。アユタヤ王朝の首都があったその遺跡群は、1991年に世界遺産リストに登録されました。

アユタヤ遺跡の歴史と変遷

今回は、バンコク旅行前に絶対に知っておきたいアユタヤ王朝の歴史とおすすめの遺跡についてご紹介します。アユタヤって聞いたことあるけど、その歴史については予備知識なし、という方もこの記事を読んでアユタヤに興味を持っていただけたら嬉しいです。

アユタヤ王朝の誕生

アユタヤ遺跡の歴史と変遷

アユタヤ王朝の初代国王となるウートン王の出自については諸説ありますが、1351年には王朝を建てていたと言われています。北に広がっていたスコタイ王朝の勢力が弱まった後に力を持っていたのが、小国のスパンブリー王家とロッブリー王家でした。ウートンは両家と婚姻関係を結び、2つの王家の政治力を利用して連合体国家を作り、都をアユタヤに定めました。

アユタヤ遺跡の歴史と変遷

そして自らはラーマティボディ1世と名乗りました。アユタヤはチャオプラヤ川、パーサック川、ロッブリー川の3つの川の合流点に位置し、地の利を生かした稲作によってできた米を輸出するなど、貿易も盛んでした。ラーマティボディ1世は、その統治の晩年にカンボジアのクメール帝国を征服し、領土に加えます。

ミャンマーによる支配と劇的な復活

アユタヤ遺跡の歴史と変遷

14世紀にミャンマーを掌握したタウングー朝の2代目バインナウン王が1568年にアユタヤを攻撃し、アユタヤは一時ミャンマーの属国となります。その危機を救ったのがアユタヤ朝の王子ナレースワンでした。1581年のバインナウン王の死去によってミャンマーが弱体化すると、ナレースワンはミャンマーを攻撃し、アユタヤ朝を復活させました。

アユタヤ遺跡の歴史と変遷

アユタヤ王朝の誕生からこの復活までを「前期アユタヤ」、復活後を「後期アユタヤ」と呼ぶことが多いです。ナレースワンは、王朝の制度を改革し国力を高めていきました。そしてアユタヤは17世紀に全盛期を迎えます。

国際都市アユタヤの繁栄と日本人の活躍

アユタヤ遺跡の歴史と変遷
画像出典:ウィキペディア

15~17世紀、世界は大航海時代を迎え、アユタヤも東西交易の要所として発展します。中国の明や日本などのアジア諸国だけでなく、ポルトガルやオランダなどのヨーロッパ諸国とも交易し、外国人が多く居住する国際色豊かな都市となりました。

アユタヤ遺跡の歴史と変遷

またアユタヤを語る上で忘れてはならないのが、山田長政をはじめとする日本人たちの存在です。豊臣秀吉の時代に本格的に実施された朱印船貿易(海外渡航許可証である朱印状をもつ朱印船によって行われた貿易)により、アユタヤには日本人町ができていました。

アユタヤ遺跡の歴史と変遷

また、江戸時代になって戦争がなくなったため傭兵としての活躍の場を求めてきた人々や、江戸幕府のキリシタン禁止令により国外に逃亡してきた人たちを合わせると、1500人以上の日本人がアユタヤ日本人町に住んでいたということです。

隣国ミャンマーや諸外国からの侵略に悩まされていたアユタヤは、日本人傭兵を重用し、その中で頭角を現したのが山田長政でした。来襲したスペインを二度にわたって破った長政は24代ソンタム王により国の高官に登用され、商業・軍事の両面で活躍したとされます。

隣国ミャンマーによる攻撃で王朝崩壊

アユタヤ遺跡の歴史と変遷

1752年にできた隣国ミャンマーの王朝コンバウン朝は、アユタヤを攻撃する機会をねらっていました。1758年にアユタヤの王が死去し、国政が不安定になったのを見て取ると、コンバウン朝はアユタヤを攻めて、1767年にアユタヤは陥落します。ミャンマーはアユタヤの街の徹底的な略奪と破壊を行い、400年以上続いたアユタヤ王朝の歴史は幕を閉じます。

アユタヤのおすすめの遺跡を紹介

アユタヤ遺跡の歴史と変遷

ここからはアユタヤを観光するなら絶対に外せないおすすめの遺跡をご紹介します。

ワット・プラ・シーサンペット

ワット・プラ・シーサンペット アユタヤ遺跡の歴史と変遷

歴代のアユタヤ王朝において、宮中儀式が執り行われてきたバンコクで最も重要な寺院です。3つの仏塔が有名で、トライローカナート王とその子供たちの遺骨が納められていたと言われています。仏塔の高さが右から順に低くなっているのがポイントで、遠くから見たときに美しく見えるように計算されて建てられたということです。

ワット・マハタート

ワット・マハタート アユタヤ遺跡の歴史と変遷

仏陀の聖骨を納めるために建てられたとされる寺院です。建立者については諸説あり、はっきりとはわかっていません。有名なのは樹木の根の中に埋まった仏像の頭です。ミャンマーの攻撃によって寺院の多くは破壊され、仏像の頭部は持ち去られましたが、たまたまこの地に残された仏像の頭が木の根に取り込まれたものだと言われています。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン アユタヤ遺跡の歴史と変遷

アユタヤ王朝の初代王ウートンがセイロン(現スリランカ)に留学中の修行僧たちの瞑想の目的で建てたとされます。アユタヤの中でも一番高いとされる高さ72mの仏塔が見ものです。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン アユタヤ遺跡の歴史と変遷

また野外にある微笑みの表情を浮かべる巨大な涅槃仏も神秘的です。

バン・パイン宮殿

バン・パイン宮殿 アユタヤ遺跡の歴史と変遷

歴代の王たちが夏を過ごす別荘として使用した宮殿。1637年に建てられたと言われます。離宮には、パビリオンと呼ばれる5つの館があり、中国風、西洋風、タイ風といった異国情緒あふれる建築様式が特徴です。観光の注意点として、宮殿内では女性はスカート着用が義務となっていますが、ない場合は貸し出しもあります。庭園の緑はとても美しく、こちらも必見です。敷地内はとても広いので、カートをレンタルして見て回るのもいいでしょう。

おわりに

アユタヤ遺跡の歴史と変遷

古都アユタヤの解説はいかがでしたか?アユタヤにはバンコクからバスやタクシー、鉄道などを利用して2時間ほどで行くことができます。古い遺跡の跡や異国情緒を楽しめる古都アユタヤを是非訪れてみてください。