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ミンマン帝廟 - フエと周辺の観光スポット
『フエの帝廟で最も有名なミンマン帝廟。他の帝廟とは一線を画す中国風の造りの特徴と歴史をご紹介します。
ベトナムといえば、みなさんはどの都市を思い浮かべますか? 首都であるハノイ。近年めざましい経済発展を遂げているホーチミン。美しい海のある新婚旅行先で人気のリゾート地ニャチャン。ランタン祭りが有名で古くから日本の行商人と繋がっているホイアン。などなど……。ベトナムには魅力的な都市がたくさんあります。 今日ご紹介するのは、ベトナムを代表する中部の古都「フエ」にあるミンマン帝廟です。 ベトナムの歴史を考えさせられるミンマン帝廟の見どころに迫ります!
ミンマン帝廟とは?
ところでみなさんは「帝廟」の意味を知っていますか?偉い人のいるところ……?帝の漢字がついているから、帝のいるところ……? 帝廟とは、天子の霊をまつってある建物・天子のみたまや、のことです。ここでいう天子とは、天命をうけて地上を治める人・中国の皇帝や日本の天皇を指します。つまり、フエを治めていた「ミンマン」帝が眠っている場所ということになります。 ミンマン帝廟は、フエ郊外にあります。阮朝2代目皇帝ミンマン帝自らが設計したといわれている中国風の廟です。1840年(日本の江戸時代。アヘン戦争が起こった頃です)から約3年間かけて建立されました。
ミンマン帝廟は紫禁城を意識している?
ミンマン帝廟はミンマン帝が中国文化を取り入れようとしていたことが多くのポイントで見受けられますが、なかでも顕徳門は際立っています。なぜかというと、顕徳門は、中国の故宮「紫禁城」を意識して造られたといわれているから。 目に鮮やかな赤とオレンジの格調高い楼門は3つの門が備えられており、中央の門はかたく閉じられているのです。閉じられている理由は、中央の門は皇帝と皇族専用だから。中央の門が皇帝と皇族専用なのは紫禁城と共通しています。身分によって出入りできる門が異なっていたようですね。
石碑から読み取るミンマン帝の思想
石碑には、ミンマン帝の功績が漢字で刻まれています。紙文化だった日本とは異なり、ベトナムでは石碑に刻んで後世に伝えるのが主流でした。 ところで皆さんは、石碑は紙よりも風化が早いことを知っていますか? 紙ではなく石碑に刻んで後世に伝える方法が主流だったベトナムには、解読困難な石碑も多くあります。石碑の風化がどれだけ早いかというと、約400年前の石碑も解読が難しいとされるほど。400年前は、日本でいう江戸時代です。日本に江戸時代の資料が多く残っているのは、石碑ではなく紙で残す文化があったおかげともいえます。
おわりに
ンマン帝廟の敷地のずっと奥には、墳墓に続く石畳の道があります。石段のさらに上にある門は常に閉ざされており、その奥でミンマン帝の遺体が眠っている……はずなのですが、実はミンマン帝の遺体の場所は不明とされています。 墳墓に続く道にある門はやはり中国風で、頭上には「正大光明」との文字があります。これは、清国の皇帝も使っていた言葉です。
アクセス
住所:QL49, Hương Thọ, Hương Trà, Thừa Thiên Huế,
営業時間:07:00~17:30
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