ベトナムにある世界遺産は7つ!そのうち4つがここにある

カイディン帝廟

シンチャオ♪

テト襲来!
中部にTNKがやってくる。
もうじきテトを迎えますベトナムの旧正月文化であり新年の幕開けが行わるわけです。
ベトナム本土の年末年始は交通網が大パニック!

もう。
本当にパニック状態です。
毎週お馴染み水曜日のスタッフブログガー志水です。
さて今日はこれから盛り上がる中部について簡単に説明しましょう。
現在南北に細長いベトナムの領土。昔は北部のみがベトナムでした。
ベトナム全土にはなんと54種類もの民族がいます。
その殆どが北部にいたキン族です。
そんなキン族が、939年日本の平安時代位の時に千年余の中国支配から独立します。
それがハノイの街中に銅像もあるリータイトー様です。
その後色々と王朝が変わり1802年。日本では寛政の改革後の江戸です。
に今の世界遺産に登録されているグエン王朝が栄えはじめます。

ダイノイ王宮の入り口。
午門です。12時になると太陽が真上に来ることからこんな名前が付きました。

その後143年続くグエン朝。皇帝の数は13代まで続きます。
上の写真は12代皇帝カイディン帝のお墓です。
ちなみに9代~13代まではフランスの占領下にあります。
その証拠に王宮内にはテニスコートだってあるんです。

彼の時代が一番良かったと言われる最高の皇帝ミンマン帝。
もう何でも抜きん出ています。これは訪れた時のお楽しみに。さてそんな中部もまだ14世紀頃。
中部にはチャンパ族という民族が住んでいました。

そんなチャンパ族は井戸掘り名人。
中部にある貿易都市の井戸を掘り当てたことにより貿易都市ホイアンの経済はどんどん上がっていきます。
16世紀には徳川幕府の朱印船がこの地を訪ねるなど1000人以上の日本人が住んでたなど日本との関わりも深い場所です。

日本橋アリ。
日本人墓アリ。
日本の茶碗あり。

そんなホイアンから64km離れた場所にミーソン遺跡があります。
古代チャム族が聖地として崇めていた遺跡で歴史も深いです。

元は4世紀に立てられたこの木造の遺跡だったそうですが消失。
その後にこのレンガ作りの遺跡が現れます。

時代と共にすこしずつ変わっていったチャンパ王国の遺跡。
彼らの生きた証はベトナム中部から南部にかけて数多く残っています。

ベトナム自然遺産の1つフォンニャ洞窟。
実はここにもチャム族が書いたサンスクリット文字が見られます。

ベトナム中部。
ベトナムを知るにはこの地は外してはいけません。
テト明けの弊社の中部ブログラッシュをお見逃しなく。

それでは来週も、サービス!!サービス!!

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