ハロン湾「朝靄のクロスロード」 - ハノイと周辺の観光スポット

売れ残り作家が行く!アジア旅行記 旅を通して現地のおすすめ観光スポットや近況を
ちょっとミステリーにご紹介します
旅人・作家:山部拓人

「謎は全て解けた」

僕は思わず口にしていました。

ベトナム中部の最大遺跡ミーソン


目の前に広がる海の名はハロン湾。

朝靄の中に薄っすらと。しかしどこかタフに浮かび上がる海の姿は、現実の世界で感じていたストレスや悩みの手枷足枷を全て消し去ってくれそうな、超常的な力を感じさせてくれます。

人の人生を左右する海がある。そんな、この世にあるかないかの伝説めいた話を、僕は思い出していました。
ここを訪れる一番ポピュラーな旅程は、ハノイからの車かバス。三時間半程度かかるアクセスは、あまり便利とは言えないでしょう。
しかし、その代償を払ってでも来る価値と魅力は充分にあると思います。

湾内クルーズなら3時間や6時間ほどの簡易型クルーズから終日のデイクルーズ、船内でディナーやアクテビティをしながら巡る1泊2日のものまで多彩です。

でも、せっかくハノイからはるばる陸路を来て、ハロン湾の魅力を味わい尽くさないなんてもったいない。
降り注ぐ神秘的な太陽の光と、この地の歴史を刻み海面より隆起した奇岩の数々。

地球が魅せてくれるプロジェクションマッピングは、刻一刻と変化してどれもこれも捨てがたいです。

だからお薦めは、何と言っても最後に挙げた1泊2日クルーズ。いわゆる、ラーメンの全部のせです。
これなら、時間の変化と共に様々に変化していくハロンを、逃す事なく目の奥に焼きつけて帰る事が出来ると思います。

少しため気味に言わせてもらいます。ここの世界自然遺産の称号は、つくづく伊達ではありません。

そうそう。それと食い道楽な僕には、ディナーやランチに登場する生春巻きが外せません。何せ、とれたての新鮮な魚介類が回りに溢れているのです。それらを野菜と一緒に巻いて、極上の逸品にならぬはずはないでしょう。

ベトナム北部の世界遺産ハロン湾

船上デッキ等を使ってパーティをやる場合もあります。同席した他の旅行客と共に、わいわい騒ぎながら飲み物を片手にすれば、船上での楽しいひと時を過ごせるのは確実。
個人的には、ベトナムビールと新鮮具材の生春巻きなんて、考えただけで卒倒してしまう組み合わせです。


とは言え、海鮮類を楽しみたいなら海沿いにレストランが色々と並んでいるじゃないかという声があるのも確かです。しかし大きな声では言いにくい話ですが、そのどれもがどストライクに観光客向けな値段です。
それと、海を前にした特別な演出があるわけでもない。だから僕は、このクルーズを推します。そこには、特別な体験と演出がプラスされているように思えるからです。

ベトナム北部の世界遺産ハロン湾

以前に、ここへ来た時の話です。
青天の霹靂で結婚相手から一方的に三行半を渡され、若干の自暴自棄となっていた僕は、ハロン湾のツアーに飛び込んでいました。

それまでは学生時代に一度来ただけだったので、何故ここへ来たのかは謎です。クルーズする船内で既にほろ酔いとなっていましたが、船体が何かと軽く接触するのを感じました。見ると、並走していた魚介類を売る小さな船に横付けをしています。

単に料理の素材を仕入れるためなのだろうと思いました。しかし、料理人達が数人乗り移って行くのを眺めていると、旅行客達も希望があればこちらに来ないかと言います。築地にさえ入った事がない僕は、何だか心が踊りました。

先頭に立ち、渡された粗末なラダーを伝ってその小さな船へ移ります。

背後にいた旅行客の間から小さく歓声が上がりました。船の床に備えられた幾つものいけすには、生きたままの見た事もない魚が入っていたのです。

その横にはシャコや海老、いかなども見えました。料理人達は、その中から目利きで食材となる魚介類を選びます。

ベトナム北部の世界遺産ハロン湾で獲れる新鮮な海産物

初めは気後れしていた他の旅行客達も、促され買い物を始めました。
僕がいけすを覗き込んで品定めしていると「シャコがおすすめだよ」とか「蟹も新鮮だよ」などと船の人が勧めてきます。
大食漢な僕は、たちまちいくつもの袋を抱える事になりました。でも「食べられる分だけ。買いすぎないようにしましょう」と料理人の1人が言ってくれたので、恥ずかしながら我にかえりました。

皆んなで揃って船に戻ると、早々に船上での調理が始まります。調理をするのは、料理人の中で一番体の大きな男性でした。
船の中の一角を使い、大きな鍋に蟹やシャコ、貝等を入れると大胆にビールと思しきアルコール類を注ぎます。
そこへ刻んだ生姜やレモングラス、赤唐辛子などの香味野菜を入れると蓋をして火にかけました。「魚介のビール蒸しレモングラス風味」は、あっと言う間に完成。

ベトナム北部の世界遺産ハロン湾

基本原理は、パエラ等の地中海料理に類するイメージでしょう。必要なのは鍋一つだから、正に男性的ともとれる豪快さです。

しかしこれが最高。アルコールで蒸すために臭みも消えて、魚介類のプリッとした食感だけが前に出てくる感じ。

爽やかなレモングラスの香りと唐辛子の辛味も手伝い、手にしたベトナムビールがグビグビと果てしなくすすんでしまった事を憶えています。

その旅から帰国した僕はまたもや謎の行動へと出て、周囲の人間を愕然とさせました。
長年勤めていた教育系の出版社をいきなり辞めて、転職するでもなくフリーターへ転身しました。
今まで大きな決断やら道を外れた行動をしないタイプだったので、何事かと驚いた人は多かったようです。

高校生対象の参考書等を扱っていた仕事の性質上「将来の進路として、フリーターだけは考えないで下さい」と最もらしく説教臭く、生徒さんへ言っていた自分が笑えました。
そして、いつもとは違う自らの謎の行動についても考え続けました。

帰ったら、自分の店を出そうと思うんだ。ずっと考えていた事だけど、この旅を転機にしたい。これからは君の力が必要になる」
クルーズする船内から、海を見ていたトルコ系の男性が言います。

横にいた女性が一度だけ海に目をやると、嬉しそうに一度微笑んで独り言みたいに囁きました。
「やはりあったのね。あの海は本当に」

ベトナム北部の世界遺産ハロン湾

ハノイの北東約170kmに位置するハロン湾。
広大な湾内には、大小で二千とも三千とも言われる小島や奇岩が浮かんだ独特の景色が広がり、海の桂林とも呼ばれています。
そしてその地形は、大国と隣接する悲しい歴史を持つここハロン湾に、不思議な言い伝えを生む事になりました。


《遥か昔。この地が隣国からの度重なる侵攻に苦しんでいた時の事。龍の親子が空から舞い降り、その隣国の軍隊へ宝玉を放って侵略を食い止めたのだと云う。その宝玉は大小の奇岩に姿を変えて、その後も外敵の侵入からこの地を防ぎ守ってくれているのだと云う》


ハロンとは漢字で「下龍」と書きます。それは「龍が降り立った場所」という意味を持つそうです。
旅は人に様々な力を与えてくれます。そしてその旅の中には、人の人生を左右する海もあるのかも知れません。


朝靄の中に薄っすらと。しかし、どこかタフにハロン湾が浮かび上がります。
僕は思わず口にしていました。

「謎は全て解けた」

ヤマベ

この記事のライター;山部拓人(ヤマベ タクト)

教育系の出版社勤めから脱サラし、売れないミステリ作家の日常へ突入。 目黒区祐天寺のアルバイトで露命をつなぐ。ミステリ好きの素養がレジ打ちで鍛えられ、プロファイリング能力として近年開花。買った物や持ち物から、人の性格や行動を推し量れるまでになってしまう。ストレス解消は学生時代に始めた一人旅。三軒茶屋在住のバツ2。

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