ミーソン遺跡「残懐のホーリーエリア」 - ホイアンと周辺の観光スポット

売れ残り作家が行く!アジア旅行記 旅を通して現地のおすすめ観光スポットや近況を
ちょっとミステリーにご紹介します
旅人・作家:山部拓人

「犯罪が行われたのは、確かにこの場所です」

米国人の女性は、決意を込めて静かに言いました。

ベトナム中部の最大遺跡ミーソン


緑濃い自然に覆われたジャングルに、突如として現れたかのような煉瓦の建造物。僕はそれを背景にして、スマホのシャッターを切ります。
「ありがとう。助かりました。自撮りって何だか苦手で」
照れ臭そうに舌を出す米国人女性へ、スマホを返しました。

今回のツアーグループの中に、欧米人は彼女1人。他は皆日本人の家族連れとカップルだけでした。僕は1人だったからか、声をかけ易かったのでしょう。
ツアーバスの中で色々と話しをしました。日本での留学経験があるそうで、日本語も上手。顔立ちは20代半ば頃に見えました。
かなり気温の高い中で、シャンブレーのロングスリーブシャツを着ています。彼女にしてみれば、聖なる場所を訪れている気持ちが強いのかも知れません。

ベトナム中部の最大遺跡ミーソン

ここはミーソン遺跡。
ミーソン聖域とも呼ばれ、その昔は選ばれた人達しか入所を許されなかったと言われています。
今やベトナム世界遺産の人気スポットとなっていますが、チャンパ王国の歴史が眠る場所であり、未だ謎多き古代遺跡のひとつです。

「確かに、機能的とは言えないですね」
米国人女性が、独り言みたいに言いました。
5分程度カートに揺られた後は、自然を満喫しながら遺跡群を歩く事になります。さすがに暑くなってきました。彼女は長いブロンドを無造作にひとまとめにして、シャツを捲りあげます。

彼女もまた謎多き存在でした。どこが〈謎多き〉なのかと言うと、僕のプロファイリングで、希少な旅行者に該当するからです。
おっといけない。
また悪い癖が出てしまいました。いつも書いていますが、普段はレジ打ちのアルバイトをしています。数年が過ぎた頃からでしょうか。多くの人間と商品を同時に目にするうちに、その買い物や持ち物から、人物像や行動が分類されて浮かぶようになりました。

それはやがて膨れ上がり、犯罪捜査などで耳にするプロファイリングに近いものにまでなってしまったのです。
笑えるようで笑えない。自慢出来るほどのものでもない。まぁ、いわゆる職業病。 そんな扱いにしておいてください。

そんな、日本でのアルバイトにひと区切りをつけた僕は、何度目かのミーソン遺跡へ足を向けていました。
レジ打ちのアルバイトも、あれはあれでストレスの溜まる仕事です。
〈現代人がやりたくない仕事〉の最新ランキングでは、かなりの上位につけています。たまにガス抜きと言うか息抜きをしないと、やってられません。

ここへのアクセスは、ホイアンから車で約1時間弱。半日で回れるツアーがメインですから、歴史好き、遺跡好きな方には外して欲しくない手軽さです。
しかも、ベトナム戦争という近代史の爪痕も強く残り、この国を理解する上での重要拠点に異論はないと思います。

ホイアンから1時間の距離にあるミーソン遺跡
破壊された跡が残る遺跡

当時、北側戦力である南ベトナム開放民族戦線がここを基地化していた為に、アメリカ空軍の爆撃を受けたそうです。
現代であったなら。例え戦時下であっても、恐らく十中八九、いやいや。必ず『爆撃待った』がかかるべし場所であったはずですが、、、。

戦争終結後は、ポーランドの文化財保護アトリエ (PKZ) やら、この国の文化情報省文化財修復公司により補強がなされ、アメリカのワールドモニュメントウォッチ財団ばかりか日本のトヨタ財団まで保護助成を行ったらしいです。

ただ、いずれにせよ後の祭りです。全く以って、僕らの破壊の歴史は後悔しか生みませんね。

ここを築いたチャンパ王国とは、現在では少数民族となっているチャム族の王朝だと言われています。宗教は主にヒンドゥーシヴァ派ですが、それにとらわれることなく、インド文化を柔軟に取り入れていたとか。

チャンパ王国が謳歌した時代は、技術力で北ベトナムを凌駕したそうで、その理由は交易にあったとされています。海沿いに繁栄したチャンパ王国は、中国やインド、オランダなどの欧米まで交易の手を広げ、レベルの高い建築技術を取り入れていたと考えられます。

現在では、発掘作業も進み徐々にチャンパの歴史も明るみになって来ました。それでも、まだまだ謎は残っています。

ミーソン遺跡に少しでも興味を持ってもらえたのなら、赴く前にチャンパ王国の歴史について少しでも勉強しておくと、面白さが倍増しますよ。

ただ遺跡群を眺めるのではなく
「チャンパ王国はどうして無節操とも言える宗教感覚なのか?」とか 「ミーソン遺跡はとんでもない建築技術が導入されていたようだが、接着剤にあたるものが使われていないのは本当か?」
などと考えつつ見学してみることをおすすめします。

チャンパ王国の彫刻遺跡

「胸が痛む光景です」

またも米国人女性が、謎多き言葉を口にしました。
そうそう。何故希少な旅行者なのか?でした。それは彼女がほとんどノーメイクで手荷物もなく、まるで慌ててこのツアーに飛び込んだように見えたからです。
ベトナムへの旅行に慣れている僕でさえもう少し荷物もあるし、ツアーも選びます。
それにこの年齢の多くの女性は、ファッションや持ち物セレクトに、旅の楽しみを重ねるかと思います。

後から歩いて来るツアーグループの他の旅行客は、シャッターを切ったり感嘆の声をあげていました。
大小の71か所にも及ぶ遺跡群は、集合体ごとにAからHまで8つのグループに区分されています。

セメントや漆喰などの、いわゆる接着剤を使わずに積み上げられた煉瓦作りの建物は、当時のチャンパ人の建築技術の高さを示すものです。ヒンドゥー教の女神や象徴的シーンが描かれた繊細なレリーフが刻まれ、訪れる人を魅了してやみません。

チャンパ王国の彫刻遺跡

中でも、最も注目したいのは、グループAの中心にある煉瓦積み祠堂です。比較的保存もよく、インドなどから影響を受けたチャンパ美術と美しい装飾文様をじっくり観ることが出来ます。
「一緒に住んでいた私の祖父が、先日亡くなりました。この戦争に参加した自分を、最後に悔やみながら」
米国人女性が祠堂を見上げて言いました。
その時に初めて胸を痛めていた気持ちが、少しだけ分かった気がしました。確かに爆撃によるダメージは大きいと言わざるを得ません。
チャンパの文化に触れたくて訪れても、無残に抉られた遺跡が目に飛び込んで来る事実もあります。

「私達の国は敗ける事を、未だ経験していません」
だからこそ、ベトナム戦争終結後の歴代の米国政府や議会は、自軍の攻撃による環境破壊や人的被害に対して、いかなる謝罪も金銭賠償もしていないのでしょう。
「それはつまり、裁かれる機会も償う機会も、持たないという事なのです」
オバマ大統領は就任演説の際に、アメリカ独立戦争や南北戦争、第二次世界大戦とともに、ベトナム戦争を戦った先人達を英雄として賞賛したそうです。

「しかし、勝っても敗けても、これが犯罪である事に違いはありません」 近年の米国では、若い人達の層を中心に、戦争での自国の行為を冷静に捉える考え方が広がっているそうです。 米国人の女性は、決意を込めて静かに言いました。

「犯罪が行われたのは、確かにこの場所です」

ヤマベ

この記事のライター;山部拓人(ヤマベ タクト)

教育系の出版社勤めから脱サラし、売れないミステリ作家の日常へ突入。 目黒区祐天寺のアルバイトで露命をつなぐ。ミステリ好きの素養がレジ打ちで鍛えられ、プロファイリング能力として近年開花。買った物や持ち物から、人の性格や行動を推し量れるまでになってしまう。ストレス解消は学生時代に始めた一人旅。三軒茶屋在住のバツ2。

Facebookシェアボタン

Twitterシェアボタン