ランタンとホイアンの歴史

シンチャオ-!!
今週もやってきました~
本日はここ世界遺産の街、ホイアンからならがお送りいたしますー
(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノイエーイ

今日もホイアンは平和です。
ホイアンでの任期が残り僅かとなり黄昏れております。
ホーチミンに帰るということは、地方からいきなり東京に行くようなもんですね。。。
トカイコワイヨー。。。。(;゚Д゚)

さて本日は、ホイアンのランタンのお話を紹介します。
ホイアンと言えば、ランタンが有名ですよね!!
昨日はランタン祭りで、多くの観光客で賑わっていました。

ホイアンのランタン

ランタンのルーツは、ホイアンに中国文化根付いてた時にさかのぼります。
その昔ホイアンは貿易港として繁栄しており、
最盛期には日本人が500人以上住んでいて、日本人街が形成をされたほどでした。

ホイアンは建築に対して日本の京都のように高さ、壁の色などルールがあります。

ホイアンイエローで統一された街並み

しかーーーーし!!!!!
江戸時代の徳川政権の時に鎖国が始まり、
日本人がホイアンからいなくなると日本人街が衰退をすることになりました。

この橋は日本人が建築したとも、中国人がおこなったとも言われております。

ホイアンの日本橋

その後、、、、
中国商人が移り住み、中国文化が根付き始めました。
その影響で、街ではランタン(中国風の紙製や布製の提灯)を作る家が増えて、
街には夜になるとランタンが灯し出すようになりました。
そしてそれが今にも受け継がれており、
ホイアンを灯しているのでした。

美しいホイアンの夜

めでたしめでたし。

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