アンコールワットと宗教。歴史を知り、遺跡観光をもっと楽しみましょう!

アンコールワットの中央祠堂

アンコールワットが世界遺産に登録されていることはとても有名ですが、アンコールワットの歴史や、どういった目的でつくれれたのか、ご存知でしょうか。
アンコールワットにまつわる歴史に少し触れるだけでアンコールワット観光がより楽しくなります!

アンコールワットの歴史

Angkor Wat

アンコールワットは12世紀初頭、当時の王であるスーリヤヴァルマン2世により30年以上の歳月をかけて建立されたヒンドゥー教寺院です。
当時は王の権威を示すため、王が代替わりしたことを示すため、そしてご先祖様を祀るため、新たな王が即位するたびに新しく寺院が作られました。アンコールワットもその一つです。

王の死後、アンコール王朝が終焉を迎え、隣国のシャム(現在のタイ王国)からの影響が強くなり、16世紀ごろにはヒンドゥー教寺院から仏教寺院へと改修されました。
そのためヒンドゥー教要素と仏教要素の入り混じる状態で現在まで残っているのですが、それこそがカンボジアの歴史の流れを表しています。

レリーフに描かれたスーリヤヴァルマン2世

もとはヒンドゥー教寺院として建造されているため、壁画や建物のモチーフの多くにはヒンドゥー教の神々やヒンドゥー教の神話に登場する生き物などが用いられています。

有名なのが、欄干や参道にデザインされている蛇神「ナーガ」

(↓左側の像がナーガ)

左がナーガ(蛇神)、右はシンハ(獅子)

ヒンドゥー教の神々や女神の姿を現した「デヴァター」

少しずつ造形の異なるデバタ―

また、インド叙事詩の「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」の場面を表現した壁画なども多く残されています。

ラーマーヤナのクライマックスシーン

こちらはヒンドゥー教の創世神話に登場するストーリーの1つ、「乳海攪拌」を描いたレリーフです。

中央に描かれているのは采配を振るうヴィシュヌ神

ヒンドゥー教に関わり深いものが多く残されているため、アンコールワットを訪れる前に少しヒンドゥー教の神々や神話について調べてみるとアンコールワットやその他の遺跡もより深く楽しむことができます。

アンコール王朝の宗教変遷

当時の宗教は王がどの宗教に傾倒するかによって変化していきました。
アンコール王朝初期はヒンドゥー教が強く信仰されており、寺院に祀られる神もヒンドゥー教の神々でした。ヒンドゥー教の主要神格はブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3神。

そのうちヒンドゥー教の本家インドでもそうですが特にビシュヌとシヴァが人気があり今に残る遺跡の数々もこの2神が祀られているものが多く残っています。アンコールワットはヴィシュヌ神を祀っています。アンコールワットにある「乳海攪拌」を描いたレリーフの中心に描かれている大亀の上にのった4つの腕をもつ人物がヴィシュヌ神です。

采配を振るうヴィシュヌ神

アンコール王朝の最盛期を築いたジャヤヴァルマン7世はクメール王朝初の仏教徒と言われており、数々の仏教寺院を建立しましたとされています。特に有名なのがバイヨン寺院で、50以上もの巨大な観世音菩薩は王の信仰心の篤さが伺えます。

Bayon Temple

ジャヤヴァルマン7世の後仏教からヒンドゥー教に再度移り変わり、仏教要素が排除されることもありました。タ・プローム遺跡の削り取られた彫刻やバイヨン遺跡の付け足されたヒンドゥー教の彫刻などからその移り変わりをみることができます。

削り取られた彫刻

アンコール王朝が終わりを告げた以降は、15世紀頃から隣国のシャム(アユタヤ朝、バンコク朝)のカンボジアに対する影響が強まりそれに伴い人々の間でも仏教が広まり、以後のカンボジア社会に浸透していき今日まで続いています。

アンコール王朝簡易年表

アンコール王朝の歴史を簡単に年表にまとめました。
年代別の遺跡もご紹介いたします。

年代 事項 年代別遺跡
紀元前後~802年 前アンコール時代 サンボー・プレイ・クック
アック・ヨム
802年 ジャヤヴァルマン2世即位。アンコール王朝の始まり。 プノン・クーレン
877年 ヤショーヴァルマン1世即位。王都をヤショダラプラ(現在のアンコール地域)に定め、プノン・バケンを中心に都を築いた。 プリア・コー
バコン
889年 インドラヴァルマン1世即位。
ハリハラーラヤ(現在のロリュオス遺跡群近郊)を首都に定める。
ロレイ
プノン・バケン
プノン・クロム
プレア・ヴィヒア
928年 コー・ケー(当時の呼称はチョック・ガルギャー)へ一時遷都。 コー・ケー
944年 ラジェンドラヴァルマン1世即位。再度ヤショダラプラ(現在のアンコール地域)へ遷都し、以後約550年に渡り都城と寺院が建築され続ける。 東メボン
プレ・ループ
バンテアイ・スレイ
1002年 スールヤヴァルマン1世即位 タ・ケウ
バプーオン
大プリア・カン
1113年 スーリヤヴァルマン2世即位。
アンコール・ワットの造営に着手。
アンコール・ワット
バンテアイ・サレム
トマノン
1145年 アンコール王朝のチャンパ支配
1177年 チャンパ軍(現在のベトナム中部沿岸に位置した海洋沿岸国家)によるアンコール都城占領。
1181年 ジャヤヴァルマン7世即位。
インドシナ半島の大部分に勢力を広げる大王朝となり、アンコール王朝の最盛期となる。
タ・プローム
アンコール・トム
バンテアイ・クディ
スラ・スラン
1353年 シャム軍(現在のタイ王国)の第一回アンコール侵攻
1394年 シャム軍の第二回アンコール侵攻
1431年 シャム軍により王都アンコールの陥落。
クメール王朝の終焉。

まとめ

年表にもある通り、それぞれの遺跡ごとに建造された年代は異なります。今回はアンコールワットを中心にご紹介しましたが、実際にそれぞれの遺跡に足を踏み入れてみると祀られた神様や、時代の流れで宗教が変わった変遷を目にすることができます。また時代によって作り方やお金のかけ方、規模もまったく異なることが分かります。そして日々遺跡の研究も進んでいるため新しい説なども出てきているのが実情です。

アンコールワットにまつわる歴史を簡単にお伝えしましたが、歴史好きな方、もっとたくさん知りたいという方はぜひ日本語ガイドでのツアー参加をおすすめ致します。ベテランのガイドさんからはさらにいろいろなお話しを聞くことができます。

基本となるの知識を持って現地を訪れると遺跡観光がより楽しくなるので出発前に少し勉強してみてはいかがでしょうか!
弊社でも日本語ツアーを催行していますので、お気軽にお問い合わせください!

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