コー・ケー遺跡群とは
About Koh Ker Remains
シェムリアップから北東へ約90キロ、アンコール遺跡群の中でもかなり郊外に当たるジャングルの中に、30とも60とも言われる数の遺跡が残るコー・ケー遺跡群があります。
2005年にカンボジアの遺跡管理局でもあるアプサラ機構が区別化を行い、現在では81平方メートルの地域が保護地区に制定されています。
コー・ケー出身の有力者、ジャヤーヴァルマン4世が王位につくと、王都をアンコールからコー・ケーに遷し、息子のハルシャーヴァルマン2世がその都を継いだと言われています。
しかし、コー・ケーが都として使われていたのは、わずか928年~944年までの16年間だったそうです。
たった2人の王のための王都でしたが、巨大なピラミッド型寺院 プラサット・トムをはじめとした建築技術は素晴らしく、寺院の装飾に使われた躍動感あふれるレリーフや彫刻はコー・ケー様式と呼ばれ、クメール芸術の中でも際立った出来栄えだと言われています。
郊外のコー・ケーから都がアンコールに戻されると、コー・ケーは忘れ去られ、寺院の装飾の多くが略奪されていきます。
最後にはジャングルに埋もれ、長い間放置されていたために建物もひどく崩壊している状態です。
しかし当時の様子がそのまま残る手つかずの遺跡として一見の価値があり、特に35メートルもの高さのプラサット・トムから眺める樹海の眺望は素晴らしいものです。
コー・ケー遺跡群の歴史と見所
802年にジャヤーヴァルマン2世がアンコール王朝を創始した後、初めに王都が造られた場所が、現在のロリュオス遺跡群となるハリハラーラヤでした。
その後、889年にはヤショーヴァルマン1世が現在のアンコール・トムに近いプノン・バケンの丘陵を中心に都を遷し、それが長く王都として利用されることになるヤショーダラブラです。
928年にアンコール7代目の王 ジャヤーヴァルマン4世が即位すると、自らの出身地であったシェムリアップ郊外のコー・ケーに王都を遷都し、ラハールと呼ばれるバライ(貯水池)や、数々のヒンドゥー教寺院を造りました。
息子のハルシャーヴァルマン2世の2代にわたり、コー・ケーは王都として栄えます。尚、コー・ケー後世につけられた名前で、当時は「チョック・ガルギャー」という名の町でした。
しかし928年には甥のジャヤーヴァルマン4世に王位を略奪され、王都も再びアンコールの地、ヤショーダラブラに戻されてしまいます。
この頃の史実は碑文などに残された記述を研究したものであるため、なぜコー・ケーが忘れ去られてしまったのかは未だ不明であり、今後の解明が期待されています。
約9キロ四方の地域に遺跡が散らばっているコー・ケー遺跡群は、未だ密林に覆われた遺跡もあり、現在容易に見学ができる遺跡は20か所ほどです。周辺の森の中は地雷の危険があるため、むやみに立ち入らないようにしてください。コー・ケー遺跡群の中心には、「ラハール」と名前が付けられたバライ(貯水池)の跡地があります。このバライの奥に現代のコー・ケー村があり、バライの周囲に小さな遺跡がいくつも点在しています。
遺跡群の中で最も代表的な寺院と名高い「プラサット・トム」は、バライ跡地の奥、コー・ケー村の近くにあり、かつての王都の中心にあったと考えられています。最大の寺院という意味を持つプラサット・トムは、環濠に囲まれた寺院で、高さ2メートルもの巨大でどっしりとしたガルーダ像が見つかった場所です。現在そのガルーダ像はプノンペンのカンボジア国立博物館で見ることができます。
プラサット・トムの入り口は崩壊し大きな石がゴロゴロしていますが、周壁の一部には美しい連子窓の彫刻が残り、内部には中央祠堂を囲むようにレンガ造りの建物が並んでいます。
ここで注目すべき建物は寺院の裏にあり、「プラン」と呼ばれる巨大なピラミッド型の建物です。7段に重なる基壇の中央に、高さ約35メートルの頂上まで登る階段がついています。
建設当時はその登頂部にも中央祠堂が建てられており、現在はその一部が残っていますが原型は定かではありません。登りきった後には、青々しく樹々が茂るジャングルが360度のパノラマで地平線まで迫る眺望が待っています。
プラサット・トム
寺院を囲む環濠
密林に覆われた遺跡
プランの裏には小さい土の山「プノー・ダムレイ・ソー」があり、娘を待ち続けた白い象の王様の墓だと伝えられているそうです。
プラサット・トムを出て、時計回りにラハール(バラン跡地)を約1.5キロほど進むと、「プラサット・リンガ1(プラサット・トゥナン)」があります。ここには大型の砂岩で組まれた祠堂の中央に、直径1メートルの大きなリンガがヨニを台座に祀られています。
これほどまでに大きなリンガは他では見ることができません。
リンガとは男性器をかたどったシヴァ神の象徴で、女性器をかたどった四角いヨニの上に置かれることが一般的で、リンガの上に聖水を流したそうです。このプラサット・リンガでもリンガの上に水をかけ、ヨニに注がれた聖水を儀式に使用したと言われています。
プラサット・リンガの側には、大型のリンガを備える寺院遺跡が他にも3つあり、単純に「リンガ1」「リンガ2」・・と表記されているのでわかりやすいでしょう。
プラサット・リンガからわずか400メートル位の場所に「プラサット・クラチャップ」があります。
大きなリンガ
プラサット・ダムレイ
未だ修繕中の箇所
コー・ケー遺跡群の中では比較的保存状態が良く、中央祠堂の周りに4つの祠堂があり、その所々にクメール文字で書かれた石碑や柱を見ることができます。屋根の装飾板である破風のレリーフも残されており、水牛に乗る死神(閻魔)ヤーマの姿のレリーフも見どころの1つです。
この辺りの遺跡は互いに500メートルと離れていないものが多いので、時間が許せばゆっくりと見学するのも良いでしょう。
ラハールの南東には象の彫刻で人気が高い「プラサット・ダムレイ」があります。
中央祠堂の四隅に象の彫像があり訪れる人を和ませます。その彫刻は量感が上手に表現されておりコー・ケー美術の質の高さを間近で見ることができます。
ラハールをぐるりと回りきると、コー・ケー遺跡群の端には黒い貴婦人の意味を持つ「プラサット・ニエン・クマウ」があります。ここは山火事でラテライトの祠堂が黒く焦げていますが、入り口上部のレリーフが美しい遺跡です。そのすぐそばにあるのが、5つの祠堂の意味を持つ「プラサット・プラム」です。
レンガ造りの5基の祠堂には樹木が絡みつき、祠堂を破壊しつつもかろうじて寺院の形を保っています。
プラサット・プラム
プラサット・トムからの眺め
調査中の建造物も多い
コー・ケー遺跡群へは、1日の貸し切りチャーターやベン・メリアとコー・ケーを組み合わせたオプショナルツアーへの参加が便利で安全です。 それぞれの遺跡の距離がそう遠くはないので、貸し切りチャーターであれば思う存分に各所を見学できるでしょう。 ただし、地雷や毒蛇の危険もあるため、必ず信頼できるガイドと同行してください。
コー・ケー遺跡群を見学出来るツアーのご紹介
幻の都コーケー遺跡+ベンメリア遺跡ツアー
【グループ・混載ツアー】ツアーの魅力と見所:
60もの遺跡数をほこるコーケー遺跡群と"天空の城ラピュタ"のモデルと言わているベンメリア遺跡を 1日で2つとも回るお得なツアーとなっております。コーケー遺跡群は900年代にアンコール地方から王都が移されていた場所で、わずか10数年間だけ栄えた幻の都として知られています。 王の死後、都はまたアンコールに戻ったために放置されてしまいました。 ベンメリアはラピュタのモデルとして人気の遺跡です。 崩壊し苔むした遺跡はとても神秘的で、カメラを向けずにはいられないでしょう。しかし、肉眼でもしっかりと見て、その歴史的な背景に思いをはせるのも楽しみ方の一つです。
幻のプンコムヌー+コーケー遺跡ツアー 秘境ハンター大集合
【グループ・混載ツアー】ツアーの魅力と見所:
コーケー遺跡群は900年代にアンコール地方から王都が移されていた場所で、わずか10数年間だけ栄えた幻の都として知られています。王の死後、都はまたアンコールに戻ったために放置されてしまいました。コーケーにあるプラサット・トムには高さ37mの7段ピラミッドがあり、カンボジア内でも珍しい遺跡です。
クーレン山という山の上にあるプンコムヌー遺跡。クーレン山の麓から4WDかバイク、徒歩で山を登っていくと巨大な岩石群が見えてきます。 その巨岩の壁に描かれているヴシュヌ神やガネーシャなど、美しいヒンドゥー教の神々の彫刻は必見です!
コー・ケー遺跡群の場所(Google MAP)
シェムリアップから車で約2時間半、アンコール・ワットからは約100キロ離れた郊外にコー・ケー遺跡群はあります。
遺跡周辺は密林地帯で、道は整備されていますが土埃が舞うような赤土の道路です。
バライ跡地「ラハール」を中心に、ぐるっと一周を回るようにして見学ができる遺跡が点在しています。
遺跡へは、アンコール・パスでは入場できず別途コー・ケー遺跡群のチケットが必要です。
また遺跡周辺の森の中には、まだ地雷が残る場所もあり、毒蛇の危険もあるため、むやみに道を外れないように注意をしてください。
シェムリアップからかなり遠方であり、観光客も少ない森の中の遺跡なので安全のために、明るい時間帯に観光を終えるようにしましょう。