アック・ヨム寺院とは
About Ak Yum Remains
アンコール王朝が始まる前の、7世紀頃に建築されたと推測されるヒンドゥー教の寺院遺跡です。
西バライの南西、西メボンへ渡る船が出る場所の近くにひっそりと残されていますが、保存状態は悪く、西バライの建設によって大部分が池の中に沈んでしまったと言われています。
現在残されている部分からは、寺院はレンガで造られたピラミッド型であることがわかります。
調査により、アンコール遺跡群の中では最も古いピラミッド型の寺院と言われていますが、苔むし、破損した姿からは当時の姿が想像できないほどです。
3層に重なったピラミッド状の土台の上に祠堂の一部が残っていまだす。
祠堂の上に置かれた石の祭壇の下方には穴が開いていて、そこから聖なる水を中に流し込む仕組みになっていたようです。
アンコール王朝以前のカンボジアの歴史は、中国の文献や残されている碑文などから史実をたどるしかなく、まだ解明されていない部分が多くあります。
アック・ヨムの場所には、アンコール以前の王都があったと考えられていますが、その具体的な広さや歴史もわかっていません。
アック・ヨムは、アンコールの王たちが10世紀以降に好んで作ったピラミッド型寺院の原型を見ることができる貴重な遺跡でもあるので、西バライ・西メボンに寄ったついでに立ち寄ると良いでしょう。
アック・ヨム寺院の歴史
アック・ヨムが建立された時代は7世紀頃と推測されていて、それはアンコール王朝がはじまる以前ことです。
その頃の史実は碑文や中国の文献のわずかな記述が頼りで不鮮明な部分も多く残されていますが、ここではアック・ヨムが造られた頃のクメールの歴史まで遡ってみましょう。
アンコール王朝は、聖なる山 プノン・クーレンでジャヤーヴァルマン2世がバラモン僧を招き即位式を挙げたことから始まります。
802年頃のことでした。
それまでクメール人は、インドネシア・ジャワに栄えていたシャイレーンドラ朝シュリーヴィジャヤ王国に774年頃から支配されていました。
この王朝は8世紀半ば~9世紀にかけて栄えたもので、何世紀も後世に続いたアンコール王朝に比べるとシャイレーンドラ朝の時代は短いように見えますが、ジャワ島の世界遺産ボロブドゥール遺跡を造り上げた王朝でもあるのです。
ボロブドゥール遺跡は世界最大級の仏教寺院で、780年頃から造営が開始され、792年にひとまず建造を終了したと碑文に残されています。アンコール王朝のクメール国王たちがこぞって造り上げた寺院よりも何世紀も前にボロブドゥールは完成しており、アンコール・ワットに比べると300年も前の出来事でした。
ボロブドゥールは大乗仏教を象徴する寺院として、インドネシア ジャワ島中部の山に囲まれた平原に建てられています。
その建物は内部空間、即ち建物の中には部屋がない構造をしており、丘の上に盛り土をし、その上に岩を積み上げてピラミッド状にしたことが特徴的です。回廊を埋め尽くす美しいレリーフは物語性があり、仏像やストゥーパ(仏塔)の建築も見事であることから、高い技術を持った王朝であったこともわかっています。
ところでアック・ヨムは、ボロブドゥールを造ったシャイレーンドラ朝シュリーヴィジャヤ王国に支配される前の時代に建造されています。
その頃のクメール人の遺跡は、サンボー・プレイ・クックに残されています。中国に残されている文献では、インド文化の影響を強く受けた扶南(フナン)国が1世紀~7世紀にかけて現在のカンボジア・ベトナム・タイの辺りに栄えていたそうです。
扶南に支配されていた古代クメール人が、613年に現在のラオス南部からカンボジア東部にかけて真臘(チェンラ)国を立ち上げると、今度は逆に扶南を占領し、さらに大きな領土を持つ国へと発展していきます。
その真臘国の初代王、イシャーナヴァルマン1世が新しい首都を造った町がサンボー・プレイ・クック(イシャーナプラ)です。
苔に覆われた遺跡群
レンガを積み上げて作られている
大乗仏教を象徴する遺跡
サンボー・プレイ・クックは、アンコール・ワットやアンコール・トムからプノンペン方面へ車で約3時間、170キロ以上も離れた場所に位置する遺跡群です。
アック・ヨムと同じ時代、7世紀に造られた八角形の建物が有名ですが、まだその役割や建築の目的は解明されていません。
森の中に残された建物はプラサート・サンボー、プラサートサート・タオ、プラサート・ジェイ・ポアンの3つの祠堂が代表的です。
近年の研究ではその周囲にも多くの建物が散在しており、さらにこれら遺跡群の西側2キロにわたる場所にもかつての都城遺跡があるとわかりました。
サンボー・プレイ・クックに残されている建物のほとんどは、レンガを積み上げて造られていることが特徴的です。
屋根をレンガで覆うために苦労をした痕跡が残されており、当時の建築技術が判る貴重な遺跡として調査が進められています。
これらサンボー・プレイ・クック遺跡群から170キロ以上も離れた西バライのそばのアック・ヨムにも、同じようなレンガ造りの祠堂跡があるということは、当時の真臘国の広大さに驚かされるでしょう。
その後、8世紀になると真臘国はいくつかの小王国に分裂し、争いを経て、ボロブドゥール寺院を建立する技術をもったシャイレーンドラ朝シュリーヴィジャヤ王国に支配されるようになるのです。
アック・ヨム寺院の見所
西バライの南側に位置しているアック・ヨムは、西バライ建設のために大部分が湖中に沈んでいると言われていて、当時の都城やアック・ヨムの本来の規模は未だ解明されていません。
現在残されている姿は、レンガで造られた3層のピラミッド型祠堂の上に石の祭壇があります。これはアンコール遺跡群の中では最も古いピラミッド様式の寺院として貴重な遺跡ですが、説明がなければ苔むした建物の残骸のように見えるでしょう。
祠堂上の祭壇の下方には穴があり、そこから聖水を流す儀式を行ったと考えられています。
アック・ヨムの場所(Google MAP)
シェムリアップ空港そばの巨大な貯水池 西バライは、シェムリアップの中心から車で30~40分の場所に位置しています。
東西約8キロ、南北約2キロの大きな西バライの南側には、中央寺院 西メボン行きのボート乗り場がありますが、アック・ヨムはそのボート乗り場から約1キロの距離にあり、西バライ、西メボンの観光ついでに立ち寄るのに適した場所です。明るいうちであればボート乗り場から迷わず歩いて行くこともできるでしょう。
西バライは地元の人たちの水遊びの観光スポットでもあるので、ボート乗り場付近には人も多くお店もありますが、土手には背が高い草が生えて往来する人も少なく治安も心配です。
特に日が落ちた後は単独行動は避けてください。