クオル・コー遺跡とは
About Krol Ko Remains
アンコール・ワットの北に位置する城壁都市、アンコール・トムを中心に、かつての貯水池と言われる「バライ」が東・西・北の三方に姿を残しています。
これらはそれぞれ「東バライ」「西バライ」「北バライ」と呼ばれており、クオル・コーは今な水をたたえる北バライに位置した遺跡です。
「雄牛の小屋」という意味を持つクオル・コーは、周囲の樹々に埋もれるようにひっそりと建っています。
それは12世紀後半~13世紀初頭頃に建てられた小さな寺院で、今にも崩れそうに風化した姿には誰もが趣を感じるでしょう。
アンコール・トムのバイヨン寺院を造らせた有力な王、ジャヤーヴァルマン7世により創設されたクオル・コーはバイヨンと似た建築方法「バイヨン様式」の仏教寺院です。
その頃の仏教とヒンドゥー教は似ているところが多いため、ヒンドゥー教の寺院と言われることもあります。
30分もあれば隅々まで見ることができる小規模な遺跡ですが、塔門、中央祠堂、経典などを収蔵していた経蔵が崩れながらも姿を残しており、インド神話を題材にした彫刻や、偽扉も見どころの1つです。
クオル・コーの歴史
クオル・コーはクメール王朝で最も名高い王の一人であるジャヤーヴァルマン7世により創設されました。
彼の功績は政治的、軍事的にも評価され、人格者でもあったと数々の碑石に刻まれており、三島由紀夫は死の前年に発表した戯曲『癩王のテラス』でジャヤーヴァルマン7世を主人公のモデルにし、彼の繁栄と人生、宗教観を描いています。
隣国チャンパ軍との戦争に度々勝利し、国土をビルマ、南シナ海沿岸、ラオス中央部にまで広げたジャヤーヴァルマン7世は、クメール王朝では初となる仏教徒の国王として1181年に即位しました。
当時の仏教は厳しいカースト制度のバラモン教から枝分かれした大乗仏教で、菩薩が悟りを開き仏陀となった後も何度もこの世に生れ落ち、命あるもの全てを救ったと信じる「信仰によって誰でも救われる」という考え方でした。
ジャヤーヴァルマン7世はクメール王国を今まで支配していたチャンパ軍やバラモン教の僧侶たちから奪回し、信仰する大乗仏教をベースに大掛かりな行政改革を行います。
その1つが、かの有名なアンコール・トムの建設です。
「大きな町」を意味するアンコール・トムは、アンコール・ワットの北側に位置し、周囲を城壁でめぐらせた都城で12世紀末に建設されました。
ジャヤーヴァルマン7世の一代前の王、スーリヤヴァルマン2世により12世紀初頭に創建されたアンコール・ワットと、国王の宗教観の違いがはっきりと浮き出ているところが興味深く、現代ではどちらもたいへん人気がある観光スポットです。
アンコール・ワットはヒンドゥー教3代神の一人ヴィシュヌ神に捧げられた寺院ですが、前王スーリヤヴァルマン2世の墓でもあり、王が死後に住むための地上の楽園を表しています。
これは死後の王は神と一体化すると考えられたデーヴァ・ラジャ(神王)の思想に基づくものです。
一方、アンコール・トムは周囲が約12キロメートルの城壁に囲まれた1つの町です。その中心にはバイヨン寺院があります。
これは古代インド神話の聖域「メール山(須弥山)」を象徴化したもので、神々が住み、降臨する場所と考えられていました。
バイヨン寺院を中心に、メール山から世界に向かう道をイメージした幹線道路やヒマラヤの霊峰を表現した城壁が作られています。
城壁の中には王宮や広場があり、数々の観世音菩薩の四面塔が大乗仏教の「仏陀による人々の救済」という哲学を訪れた人々に感じさせるでしょう。
ジャヤーヴァルマン7世はバイヨン寺院やアンコール・トムの建設だけではなく、クメール王国の各地に陣を建設、道路網を整備し121カ所の宿駅や102カ所の施療院をつくり、王国に平和と繁栄をもたらした王と言われたそうです。
この王が建設した寺院の1つがクオル・コーです。
クオル・コーの見所
アンコール・トムを代表とするようなラテライトでできた壁に囲まれ、塔門、拝殿のある中央祠堂、経蔵が残る建物を美術・建築史上で「バイヨン様式」と呼んでいます。
クオル・コーもそのバイヨン様式の遺跡の1つで、ラテライトの壁に囲まれ、小さいながらも塔門、中央祠堂、経蔵が残っており、バイヨン寺院のような四面仏こそありませんが、同じ創建者であるジャヤーヴァルマン7世の好みが感じられるようです。
遺跡は全体的にかなり破損し、石の色合いも風化していますが、中央祠堂の偽窓には幾何学的な美しい連子窓の模様を今も見ることができます。
連子窓とは、日本でも寺院や茶室などの仏教建築に使われている、扉がなく開閉ができない四角い窓です。
窓枠の内側に縦に棒状の木材など(連子子/れんじこ)を並べており、昔の技術では窓を大きく開放してしまうと建物の強度が弱まるために利用されました。
クオル・コーの連子窓は砂岩でできており、アンコール・ワットと同じデザインですが、その連子子の間は空間がなく偽窓であることが特徴的です。
東塔門の手前には、元々は屋根を飾る破風であったレリーフが無造作に置かれています。
それは、カンボジアでは人気のある神話の1コマで、クリシュナ神がゴーヴァルダナ山を持ち上げている姿です。
クリシュナ神とは創造の神 ブラフマー、破壊と再生の神 シヴァと並び三大神と呼ばれる救済と恩恵の神ヴィシュヌの化身です。
ヴィシュヌ神は王子や仏陀、猿や牛など様々な姿になり、その呼び名や寓話もたいへん多い神様の一人で、今でも人々の信仰が厚くカンボジアを旅すると青や黒い肌のクリシュナ神の絵をよく見かけます。
その物語は多くの悪行を働いていたヤーダヴァ族の王カンサの妹に、神々がヴィシュヌの化身としてクリシュナを産ませたことに始まります。カンサはクリシュナに自分が殺されるのではないかと恐れ、妹とその息子たちを牢獄に閉じ込めましたが、クリシュナは同じ日に生まれた牛飼いの娘とすり替えられ、ナンダという名の牛飼いに預けられて成長しました。
ある時、雷の神であるインドラ神の祭礼の準備をする牛飼いたちを見たクリシュナは、おごり高ぶっているインドラ神を懲らしめるために祭礼をやめさせ、「すべての生き物はカルマの法則で生きていて、そのカルマをインドラ神が変えることはできず、自然の力や山、牛、食べ物などによって自分たちは恩恵をうけているのだ」と人々を諭しました。それに怒ったインドラ神が嵐で大洪水をおこしましたが、クリシュナが片手でゴーヴァルダナ山を引き抜いて左手の小指だけで持ち上げ、その山の下に人々を非難させました。
その後、インドラ神は心を改めクリシュナに忠誠を誓います。その時、天界から多くの恵みを生み出す天の乳牛スラビが舞い降り、クリシュナを唯一無二の最高神と称え、スラビの乳房から溢れ出た天のミルクでクリシュナに沐浴をさせました。
こうしてたくさんの化身と名前を持つクリシュナは、「ゴーヴィンダ(牛たちの王)」「ギリダラ(山を持つ者)」とも呼ばれるようになったそうです。
クオル・コーは「雄牛の小屋」という意味を持つ遺跡ですが、それはかつて牛が飼われていた場所であったからか、牛たちの王であるクリシュナに捧げた寺院であったからなのか、今となっては真相はわかりません。でも、クリシュナの物語を知ったうえで寺院を訪れると、より一層遺跡やレリーフへの関心が増すでしょう。
クオル・コーの場所(Google MAP)
アンコール遺跡群の中でも北東に位置するクオル・コーは、シェムリアップ中心から車で約30分の静かな森の中にあります。
プリア・カーンの貯水池の中心、2匹の蛇神ナーガの祠堂が有名なニャック・ポアンからは徒歩でも10分かからないくらいの距離に位置しており、北バライの観光スポットの1つです。